やぶいぬ応援団

膵臓癌闘病記や生還者のアドバイス、新薬の治験情報や研究など元気が出る話題を個人が集めたブログです。 <免責事項>本ブログは特定の治療法や薬の使用を推奨するものではなく、このブログの情報を利用した結果について筆者は責任を負うことはできませんのでご了承ください。

生還者の声(8)バレリー・N/リディア・Y

燃えてるよ


先月パンキャンのサイトで発表された生還者の声を2つ翻訳してお届けします! 今回の翻訳では、以前にも翻訳でご協力いただいたmarthaさんに語句の解釈をご教示いただきました。また、右の写真はhana0o0mmさんからいただいたものです。ありがとうございました。

私の姉は、2006年10月に膵炎と診断されましたが、12月にはその診断も「手術できない膵臓がん」というものに変わってしまいました。姉は私たちに医者が下した「宣告」を教えてはくれませんでしたが、それが良くない知らせだということは私には分かりました! でも、私は「もう望みがない」という言葉だけは受け入れなかったのです。それは姉も同じでした。姉は希望を持ってある病院にかかりました。全く使えませんでした。そこで出会った医師の多くは家に帰って死を待てというような言い方をしました。そこで、からし種ほどの小さな信仰でしたが、私たちは信仰を持って祈りました。そして姉は別の病院を見つけたのです。最初の病院の医者は目を回して「あそこはあんまり信用ならないねぇ」というような病院でしたが。


はじめに、信念を持ちすぎるということはないと覚えていてください。われわれはすべて神の子であって、信じられないほどの自己治癒力を持っているのです。姉の腫瘍マーカーは最初4000もありましたが、徐々に下がっていき今では50になりました。癌が転移している兆候もありません。あれから1年、今の姉は素晴らしい状態にあります。ここまでの道がひどかったとか、耐えられないほど感情的になったなどというつもりはありません。姉の病院ではホリスティック医療を行っており、姉は精神と肉体とそして心のケアも受けることができました。姉は3種類の化学療法を受けました。患者サポートが信じられないほどよかったです!


担当医に「もう打つ手がない」と言われても信じないでください。なぜなら打つ手は必ずあるからです。姉は今までのライフスタイルと食事を全面的に変えました。生野菜や果物を摂るようにし、砂糖と加工食品の摂取を減らしました。タバコと酒も止めました。こうしたものに頼るのを止めなければなりません。頼るべきは、自分は治る、自分を治すことができるという決意、信念です。「偽りの希望」などという言葉は自己矛盾だと言えますし、そんなものは存在しません。本当の希望を持っているか、希望を持っていないかのどちらかです。どうか希望を持ってください!


バレリー・N、カリフォルニア州フェアプレイ市、11/4/07

まずはじめに、私はがんと診断されてから16年も生きているということをお伝えしたいと思います! 私は41歳の時に十二指腸乳頭部がん(腺癌)と診断されました。私は1991年5月にミシガン州カラマズーの病院で6時間のウィップル手術を受けました。その前に肌がかゆくなり、白目が黄色くなって熱が出ました。手術所見は、「ファーター乳頭部の3cm大のキノコ型腫瘍」というものでした。転移の兆候はありませんでした。私は11日間の入院後、登録看護婦であり重症患者の経験豊富な妹に看てもらうことにして退院しました。化学療法も放射線療法も受けませんでした。私はII型糖尿病でした。胆嚢も手術のときに取られました。


私は今年58歳になりました。私の話を、他の癌サバイバーの方達と分かち合いたいと思います。信念と家族の支えがとても大切だと思います。


私のアドバイスは、体のどこかに痛みを感じたら病院にかかってみようということです。私はこうして生きています。フィリピン在住の家族と一緒に人生を楽しんでいます。そして私はこうして自分の話を人に伝えているのです。


リディア・Y、フィリピン・ラスピナス市、11/1/07


追記:去年のクリスマスの記事「ある夫婦の軌跡」もよろしければご覧ください。切ない記事ですが・・

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