やぶいぬ応援団

膵臓癌闘病記や生還者のアドバイス、新薬の治験情報や研究など元気が出る話題を個人が集めたブログです。 <免責事項>本ブログは特定の治療法や薬の使用を推奨するものではなく、このブログの情報を利用した結果について筆者は責任を負うことはできませんのでご了承ください。

ランディ=スタインの手記(抄訳)(4)

(3)の続き)
元サイト:http://www.gemzar.com/life_stories/randy_stein.jsp

*

奇跡は起こる。


膵臓がんはいやらしい癌だ。勉強してわかったのだが、どんな癌もいやらしくないということはない。最初の予想では、私が診断の日から3ヶ月を超えて生き延びる確率はまず3%というところだった。7年経ったが、私はまだ生きている。我々は皆奇跡の子だ。そして我々は皆、人生の一分一分を最大限に生き、元気づけてくれるもので人生を満たし、自分の心底からの力を十二分に発揮して自己を実現し、自分がなりたかったものになれる能力を持っているのだ。


奇跡が起こることを期待しよう。天はその期待に応えてくれるだろう。その奇跡がどんな形でもたらされるかは分からないが。奇跡に向かって努力するとはすなわち、毎日朝起きたらその一日を精いっぱい生きるということだ。自分によく似合い、自分がかっこよく見える服を着る。自分が格好良く見えれば自分の気分も良くなるだろう。以前の私は、「新しいズボンなんか買ってどうする? 長くは着ないかもしれないんだぞ?」と自問することもあった。 今や、その答えは私にははっきりしている。格好を良くして気分も良くなろう! 答えはいつだってシンプルだ。


自分が満足できることを、自分ができるかぎりやろう。私にとっては、それは庭の一カ所で1時間、場所を代えてもう1時間と太陽の光を体いっぱいに浴びることだった。これを私は、昼寝をとったり医者に行ったりする合間に行った。私の体には太陽と庭が何よりの癒しだった。私が健康に回復して行くのにどうしても欠かせないものだと体が訴えていたのだ。


俺は生きるんだという信念を、自分の心底から真っすぐ信じきることが必要だ。自分が選んだ主治医を信じよう。自分の治療を信じよう。今までに自分の下した決断が正しいものであったと信じよう。迷ってくよくよしたりするのは止めよう。信頼と信念をもってすれば、回復過程でのどんな困難も乗り越えられる。


自分は本当に幸運だったと思う。他の人が経験するようなひどい副作用やつらい症状は私にはあまり起こらなかったからだ。 彼らの醜い顔が近づいてきても、私は、彼らに力を与えたりしなかった。自己憐憫に屈するのも拒否した。どんなつらいことも永遠には続かない。そしてそれは死んでしまうことに比べればずっとましだ。幸運だったと思うのは、私の魂が深淵から活性化され、新しい知識が私の中に流れ込み、自分をとりまく世界がどれほどかけがえのない重要なものなのか理解することができたことだ。私は本当に、がんにかかる前より幸福な人間になった。よく友人に話すのは、私の毎日は、たったの二種類しかないという話だ。良い日と、最高の日である。それから、ささいなことにはくよくよしないことにしている。しょせん、すべてはささいなことだからね。


1998年10月に、我々はまたCTを撮った。その頃には、CTを撮るのはなじみの場所に帰ってくるようなものになっていた。もちろん結果についてはいつも心配していたが。11月4日、43回目の化学療法。(ちなみに私の髪はまだ残っている。申し訳ないが兄や主治医の髪より多いと思う)主治医が、満面の笑みで診察室に入ってきた。「CTスキャンの結果が届きましたよ。腎臓と脾臓の腫瘍は完全に消えました。膵臓と周りの腫瘍は、1年前のCTに比べるとずっと見えなくなっています!」最新のCA19-9腫瘍マーカーの結果も返ってきた。それは19.7まで減っていた。 そうして、我々は皆、泣き始めたのだった。


奇跡は起こる。多大な努力と、多大な幸運によって。


感動的な時間の後、我々夫婦は医師に「この結果はどういうふうに解釈すれば良いんでしょうか。今後の方針は?」と尋ねた。医師はこう答えた。「まだ膵臓のところに約3センチメートルの長さの影があります。これは瘢痕組織かもしれないし、死んだ細胞かもしれないし、まだ活動中の細胞かもしれない。それを知るすべはありません。 血液検査上は、CA19-9の値は正常範囲に戻りました。4ヶ月連続で正常値を保っています。」 医師は続けて、私は現在『海図に載っていない』場所に進みつつあるのだと言った。(それは良いニュースでもあり、悪いニュースでもある。) しかし、こんな悩みは楽しい悩みかもしれない。


彼は言った。10人のがん専門医に聞いたら、5人はここで化学療法を止めるのが安全だと言うでしょう。残りの5人は、治療がこれだけうまくいっている、つまり副作用がそれほどきつくないのだったら、あと半年、月に1度の化学療法を続け、それからCTを撮ってまた考えると言うでしょう。主治医は、私は後者を支持します、と言った。


今や、私は心底抗がん剤は友達だと思っている。それは妻と兄弟の次に仲のよい親友だ。 あと6カ月化学療法を行うという決断をした。その時以来、私は、化学療法を3度再開したり止めたりして、合計81回の治療を行った。化学療法を再開するたびに、膵臓がんの闘病とそこから回復したときのあの気持ちが、私の中によみがえってくる。


私は現在、がんと共に生きている。心と体と精神の完全なバランスを学んでいるところだ。


昔の私は、そう、がんにかかる前の私は、がんの話といえば治療にしても体験談にしても何年も前の古臭いものしか知らなかった。今では、がんから生還した人がたくさんいるのを知り、がんの治療も格段に進歩しているのを学んだ。助けてくれる人も、支えてくれる人も、たくさんいる。奇跡もたくさん起こっている。どんな回復の道筋をたどろうとも、そこに流れているテーマは一つであり、絶対だ。 信頼と信念。彼らはそれを実現したのだ。


私の話が、がんからの回復の過程ではどんなことでもできるのだというメッセージになればいいと思う。


私の人生には、奇跡が起こった。奇跡は人生の贈り物だ。そして天は我々一人一人皆に、毎朝、目覚めると同時に奇跡を届けようととしているのだ。その贈り物を浪費しないでほしい!

Carpe diem! 毎日この瞬間を最大に生きよう!



(C)2001、Wellness Emporiumの許可の下に再録

この手記をランディ=スタインに捧げます。(彼は2005年始めまで勇敢に膵臓がんと闘いました。)

(終)

<免責事項>本ブログの医療記事や体験記は、特定の治療法や薬の使用をし推奨するものではありません。ご自身の病状については、担当医とよく話し合ってください。このブログの情報を利用して生じた結果について筆者は責任を負うことができませんのでご了承ください。<おことわり>このブログは営利目的ではありません。コメントは承認制です。商品や治療法の広告を目的としたトラックバック、記事内容と無関係のコメント等は予告なく消去させて頂くことがあります。