ジェイミー・S、人生で一番つらかったとき
キリスト教の話の中で好きなものの一つに、『浜辺の2つの足跡』というものがあります。
浜辺に2つの足跡が残っている。 ひとつは私ので、もう一つはイエスのだった。 でも振り返ってよく見てみると自分が最も苦しかった時、足跡は一人分しかなかった。「主よ、なぜ、私が最も苦しかった時に、共にいてくださらなかったのですか?」するとイエスが答えられた。
「あの時、 私はあなたを背負って歩いていたのだ」と。
あなたの人生で一番つらかった時はいつですか?
今日の話は PanCAN Newsletter Apr 2005 からです。
ジェイミー・S、ワシントン州ヤキマ
わたしがすい臓がんから生還できたのは、生還確率が最悪だったことそれが理由なのだとよく人には話しています。担当医の先生たちは、わたしが最初手術不可能と診断されたにもかかわらず、わたしを救う方法を見つけてくれたのです。
2001年1月、わたしは体の不調を感じはじめました。背中に小さな水泡がいくつかできたのです。背中全体ではなく、ごく一部だけですが。医者にかかると帯状疱疹と言われました。次に2001年4月、胆石が痛みだして地元の病院の救急にかかりました。その時の超音波検査で、胆石はもう胆のうから出てしまっていることがわかりました。ただしすい臓の頭部がはれていると言われたのです。医者は胆石が胆管に引っかかっているのだと考えました。わたしは大きながんセンターに行き、そこで口から入れるERCP検査で胆管の検査をしました。胆石はありませんでした。それでがんの疑いが出てきたのです。
その後4ヶ月、わたしは何度も生検を受けました。なかなか診断がつきませんでした。わたしの息子は看護師をしていたのですが、ケンタッキー州から付き添いにきてくれました。検査結果を待つ間、息子はシアトルまで観光に行きました。これが息子の姿を見た最後になってしまいました ー 彼はその日に殺されたのです。息子が殺されたその週にわたしの最終診断も出ました ー わたしはすい臓がんでした。腫瘍が太い動脈の周りにとりついていたので手術不可能でした。人生でこの時ほどつらかったことはありません。わたしは息子を埋葬するためにケンタッキーに行き、戻ってきて化学療法を始めました。
わたしが今日生きているのは、主治医が作成してくれた抗がん剤メニューのお蔭だと信じております。主治医は特別な化学療法と放射線療法を組み合わせて、がんを小さくしてくれました。主治医はわたしに、もし治療がうまくいったら手術でがんを切除するつもりだと言ってくれました。
主治医がわたしの治療結果をチェックした日のことを、わたしは一生忘れないでしょう。主治医は「手術ができるようになりましたよ」と説明してくれたのです。わたしたちの希望が現実になりました! ウィップル手術は、2002年3月27日に行われました。2ヶ月後わたしは化学療法をさらにもう一度行いました。
がんの痕跡がなくなってもう3年になります。とにかくすばらしいとしか言いようがありません‥‥「がんの痕跡なし」ですから。2002年12月から、わたしは仕事に復帰して毎日働いています。わたしの生きようという決心、すばらしい担当医たち、そしてわたしの前向きな態度のどれもがとても重要なものでした。一緒にがんばれば、あなたも奇跡を起こせます!!!! 決してあきらめないでください!