やぶいぬ応援団

膵臓癌闘病記や生還者のアドバイス、新薬の治験情報や研究など元気が出る話題を個人が集めたブログです。 <免責事項>本ブログは特定の治療法や薬の使用を推奨するものではなく、このブログの情報を利用した結果について筆者は責任を負うことはできませんのでご了承ください。

少量頻回療法の体験(1)

metronome

現在ブログ休眠中ですので(?)、休眠療法の話をいたします。


膵臓がんのような展開の早い癌に対して、休眠療法(少量頻回療法・メトロノミック療法)のような比較的少量の抗がん剤を投与する治療を行うのが良いかどうかは、現在大きな議論になっているそうです。増殖力の強いがんに対しては、強い化学療法を行うべきであると考えている医師が多いようです。膵臓がんの少量抗がん剤療法は、まだ大規模試験で証明されていないこともあって一般的な治療としては行われていません。


日本では金沢大学の高橋先生(「がん休眠療法 (講談社+α新書)」)、町田胃腸病院の梅澤先生らによる休眠療法が行われはじめているようですが、まだごく一部です。


アメリカでも状況は同じです。休眠療法はほとんど行われていません。そんな中、2005年に米国で初期の休眠療法を受けた方の記事が出ていたので一部を2回に分けて紹介します。実際の経験者の話はめったに聞けませんからね。


こうした治療法の検討が進んで、休眠療法がどのような癌の患者に向いているかなどの知識が広まっていくと良いですね。

9回裏からの逆転ホームラン
(自然療法で命をもらった男の話)(抄訳)
ポスト・インテリゲンチャ紙、ワシントン州シアトル 2007年03月21日


担架で運び込まれたとき、彼は真っ青で力なく横たわるだけでピクリとも動かなかった。


5ヶ月にわたって治療を受けたが、すべての癌の中でも最強の敵は今まさに勝利を宣言しようとしていた。彼のすい臓はがん細胞で一杯になり、あふれたがん細胞は肝臓や周囲の臓器にまで転移していた。主治医は彼が数週間のうちに死ぬだろうと宣言した。


アーロン・バレット(このときまだ35歳だった)は最後にあと一つだけ治療を受けることにした。バレットを運んできた看護師たちはシアトル健康・がん治療センターのベッドに、彼の痩せこけた体を横たえた。ここで彼の新しい治療が始まるのだ。


彼が受けようとしている治療は、まだ証明も無く論争が続いている治療法だった。すい臓がんに対する標準治療は、体に耐えられる限り大量の抗がん剤を叩きこむ化学療法が中心である。彼には標準治療は効かなかった。


彼の新治療も化学療法ではあるが、使う抗がん剤を少量に抑え、そのかわり頻回に投与するというものであった。この治療法を推進する人々は、この治療を行うと最終的により多くの抗がん剤を体内に送り込むことができるので有効性が高まり、また一回に投与する抗がん剤を少量にすれば脱毛や吐き気などの不快な副作用が少なくなるはずだと主張している。シアトルがんセンターによれば費用は標準治療とほぼ同じで、ふつうの健康保険でもカバーされるはずだということだ。シアトルがんセンターの治療の中には、自然療法も含まれていた。


この化学療法は、「少量頻回療法」または「メトロノミック療法」とも呼ばれているが、肺がんや乳がんを対象にした臨床試験ではいくつか成功例が報告されている。しかしこの治療はがん治療の王道と呼ぶにはほど遠い。しかもすい臓がんという最強の敵、患者の多くが末期で発見され余命を6ヶ月も与えられないがんに対して少量化学療法を行うことには、多くの腫瘍内科医が異議を唱えている。


シアトルがんセンターの腫瘍内科医ベン・チュー医師は、すい臓がんにも少量化学療法は可能だと確信した。そして、バレットがそれを実証する彼の最初の患者になるはずだと確信したのだった。

しつこい痛み

バレットはフォード自動車で働くエンジニアである。義理の母親とカリブ海にクルーズ旅行に出かけているときに、しつこい胃の痛みを自覚した。その後仕事先で痛みは急激に悪化し、食中毒ではないかと思うほどひどくなった。


2004年8月、CTスキャンで彼の上腹部に大きな腫瘍が見つかった。医師団はすい臓がんの治療を始めた。バレットは年も若く体力があったので、最大量の化学療法を行った。2週投与1週休みを2クール行った。


彼の足はラグビーボール大に腫れ上がり、内出血が始まった。きちんと頭が働かなくなり、ぼーっとしたので何度も入退院を繰り返した。12月には輸血の副作用で集中治療室に入院した。そして2005年1月、腫瘍内科の主治医はもう打つ手はありません、と彼に宣告したのだった。


その頃、妻のティファニーが自然療法のところにチュー医師の名前を見つけた。
「チュー先生の治療に出会って目からうろこが落ちました」とティファニーは語った。「がんでなくアーロンという人自身を診てくださる先生に出会ったのは、そのときが初めてだったんです。」


夫妻はこのとき初めて楽観的になった。何も失うものはない、という気持ちになった。


チュー医師はこう語る。「私はアーロンに、私も一緒に闘いますと言いました。それから、この治療がうまくいくかどうかは分からないということも伝えました。」その場合のバレットのもう一つの選択肢はホスピス、つまり死を迎える人々の場所だった。


バレットは、入院していた介護施設からがんセンターに車いすで通って少量化学療法を受けた。さらにもう一つの論争の的である自然療法も受けた。これは栄養療法、食事療法と生活改善から成り立っていた。バレットにとっては、この組み合わせが彼の命を救うこととなった。

自然療法的アプローチ

(略)
4月16日に続く)


(写真はhttp://www.sxc.hu/photo/204753より借用)

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