トッド・モロー、13センチの腫瘍 前編
トッド・モロー、テキサス州キャロルトン
ぼくの61歳の父、ミズーリ州ポプラー・ブラフに住んでいるボブは、何をやらせても桁外れの成果を出すのだが常に謙虚な姿勢を崩さない人間だった。ボブのモットーは『人生で大事なのは成功の数より成功の質だ』というものだった。父の世代の人間はたいていそうだが、父は自分の仕事と家族を何より大切にしてきた。さて今度は、父自身がわれわれ家族の一番大切なものになる番だ。
ボブは手術できない膵臓がんの患者としては桁外れの長期にわたって生存しているサバイバーだ。父がその残酷な診断を受けたのは、2000年4月のことだった。その時の余命宣告は3ヶ月。父はその恐ろしい知らせをひと月近くも自分の胸にしまっていた。家族の胸が痛む知らせをできるだけ後にしようという思いからだ。2000年の5月、母の日の翌日、父はついにすい臓がん末期の診断を受けたことを話し家中が悲しみの底に突き落とされた。すい臓の尾部の腫瘍は12.5cmもあり、すぐにも転移するだろうということだった。告げられた余命はあまりにも短く、ボブも家族の皆も、がんの犠牲者ならたいてい同じだと思うのだが、無力感と絶望でいっぱいになってしまった。
ぼくと妹のテリーは、半狂乱になりながらも集中して、インターネット上ですい臓がんの治療法を調べつくす決心をした。ネットの中のあらゆる場所を、すみずみまで、限りなく‥‥しかし結局すい臓がんと戦うための桁外れの武器となるかもしれない治療を見つけたのは、父だった。2000年6月、父は9NC(ルビテカン)の臨床試験に適格であることがわかり、参加患者として選ばれた。それは5日間内服をして2日間休むというものだった。治療を始めてすぐ1ヶ月後、CT上父の腫瘍の増大が止まったことがわかった。地平線の向こうに、新しく生まれた希望が顔を出しはじめた。それとともに、退職後のドリームホームの計画も持ち上がった。
(後編に続く)