やぶいぬ応援団

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スティーブ・ニーハンス「断端陽性を乗り越えて」前編

yabuinu52006-08-21

  • ティーブ・ニーハンスさんは手術の時の膵臓断端が陽性(がん細胞が残っていること)でしたが、それを化学療法と放射線療法で乗り越えられた方です。
  • 「このがんは私の人生を変えました。私は、自分がなぜこの世にいるのか理解したつもりでいます。」ニーハンスさんは復帰後はがん広報ウォークなど様々な活動にご活躍されています。
  • PanCAN Newsletter 2002年10月号からです。


ティーブ・ニーハンス(55歳)、カリフォルニア州コロナ在住

ティーブ・ニーハンスと申します。私はすい臓がん患者です。私はこの恐ろしい病気で死ぬかもしれません。でもそうはならないかもしれないと思っています。去年の9月のことでした。私のすい臓にしこりができて十二指腸の方へ伸び、胆管を塞ぎ、つまり肝臓に胆汁が逆流するようになってしまいました。私は真っ黄色になり、まるでマジックペンのようでした。秘書さんたちは文字通り私を引きずって病院に連れて行きました。1週間後、私はウィップル手術に備えていました。手術は行われましたが合併症がひどく、重い感染症の他に血栓が両足と両肺にできました。一度となく私の信仰が試されました。私は手術台の上にマグロのように何もできずに横たわる自分の姿をはっきり覚えています。看護婦さんが一人、私の手を握りながら驚いたような声で、ニーハンスさんは緊張してませんねと言いました。私は全然心配していませんよ、と答えました。彼女の頬に大粒の涙がつたい落ちるのが見えました。


ウィップル手術が終わったとき、すい臓の断端検査は陽性でした。つまり化学療法と放射線療法が必要となったのです。私は「この治療はお昼休みの間にできますか?」と聞きました。1月に治療が始まりました。私は11:30に会社を出ると、サン・ベルナディーノがんセンターに行って放射線を受け、腫瘍内科医に寄って5FUを打ってもらい、それから一日の仕事を終えるために会社に戻りました。毎日、私は高速道路のお気に入りの場所で止まってクッキーをかじることにしていました。ある日ハイウェイパトロールの警官に呼び止められたのを覚えています。警官は私に大丈夫かと聞きました。私は答えました。大丈夫です、ただちょっとがんと闘っているだけなんです。警官は私を一瞬抱きしめると仕事をしに行ってしまいました。自分が正気かどうか知りたくなったら、何百台もの車が通り過ぎている横でハイウェイパトロールの警官に抱きしめられてみてください!


この文章を書くのはとても大変でした。ふだんあまり自分のことは話したくないので。なぜならこれは自分の話ではないからです。私自身は寛解状態で毎日素晴らしく過ごしています! これは私の後についてくる皆さんの話なのです。最悪のニュースをたった今耳にして、病院の駐車場でエンジンをかけてハンドルを握ったまま恐怖に凍り付いている皆さんの話なのです。何時間も泣いたり祈ったりしている家族や友人や会社の人たちの話なのです。これはより良い治療と治癒の希望についての話なのです。


続く

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