ステーシー・K「家族の闘い」(後編)
- 手術不能の膵臓がんと診断されながらも4年生きのびたルー・Kさんの家族の物語です。娘のステーシーさんは議会への陳情など、多方面で活躍されているようですね。
- 「母の抗がん剤」とは?
- 出典は PanCAN Newsletter 2003年10月号 です。
(前編よりつづく)
「すい臓がん」と「幸運」の両方の単語を一つの文の中で使うことは馬鹿げて聞こえるかもしれません。でも父は幸運だったのです。父は始めとても具合が悪かったのですが、どんどん良くなってきています。父は体重が減ることもなく食欲もあり、強い痛み止めも要らずステントも必要としませんでした。黄疸になったことも無かったのです。治療の副作用は予想したよりもずっと軽いものでした。
両親は、父がこれほど良い状態でいるのは本当に運がよかったと感じています。両親は自分たちの知識を他のすい臓がんにかかった人たちに伝えて支援する活動を始めました。両親からの励ましは、他の患者が積極的な治療に臨んだりセカンドオピニオンを受けたりするのに役立っているようです。父の主治医に診てもらうために他の患者がロサンゼルスに来る時には、一緒に会って話をしたりしています。私とジェフは、両親のことをとても誇りに思っています。
それから母は父のために野菜ジュースをしぼって、毎日飲むように強要しています! 野菜ジュースは父の健康増進に効いているようなので、うちでは『母の抗がん剤』と呼んでいます。
私とジェフは、すい臓がんが遺伝する可能性についてはよく分かっているつもりです。もちろん心配はしていますが、その心配が自分たちの毎日の生活に影響しないように心がけています。ジョンズ・ホプキンス病院にはすい臓がん患者の登録制度があるので、そこに自分たちのデータを送ろうと思っています。父の主治医には、血液サンプルを送るといいのではないかと言われました。
私たちはこのめちゃくちゃな病気に対するより良い治療法、早期発見法、それから完治の方法が見つかるように日夜願い、祈っています。それと同時に、私たちはすい臓がん研究のために募金を呼びかける集会に参加し、人々にこの病気についてもっと良く知ってもらうために活動しています。2001年6月、私はPanCANの人たちと『がんのために声をあげる会 (OVAC)』に出席して、もっと研究資金を増やしてもらうためにアメリカ上院議員たちの前で話をしました。私は決して闘いを止めません。
2年前、私たちの人生は永遠に変わってしまいました。今ではこれが私たちの人生です。私たちは父が生き続けていけるようなことはどんなことでもするつもりです。父の存在は心底私たちを勇気づけてくれています。お父さん、あなたを愛しています。私が作ったホームページ http://www.geocities.com/Stacikmiotek/ にも来てください。
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