やぶいぬ応援団

膵臓癌闘病記や生還者のアドバイス、新薬の治験情報や研究など元気が出る話題を個人が集めたブログです。 <免責事項>本ブログは特定の治療法や薬の使用を推奨するものではなく、このブログの情報を利用した結果について筆者は責任を負うことはできませんのでご了承ください。

スティーブ・R、天使が教えてくれた癌(後編)

前編よりつづく)

ものすごく痛かったことは痛かったが、僕は自分がブランコから落ちたことにあまり気を留めていなかった。カヌー旅行の一週間後、僕は毎食後にひどい胃痛がすることに気がついた。食欲がなくなって体重が減りはじめた。10日後に家族で海に遊びにいった時、あまりの痛みに僕は救急外来に駆け込むことになってしまった。そこでは急性膵炎と診断された。


結局、ブランコから落ちたときに膵臓が破裂したということが判明した。後になってわかったことだが、膵臓の頭部に小さな腫瘍ができていて、ちょうどそれが膵管をふさぐ形になって膵臓で作っている酵素が破裂部に流れこんで膵炎を起こしていたのだった。6週間点滴をして消化酵素を内服したが、僕の状態は良くならなかった。それでやっと僕は有名病院に行った。何回も検査を受け、確かに膵臓の頭部の狭窄があることはわかったが、膵臓と胆管をふさいでいる小さな腫瘍はどうしても見つからなかった。ステントを入れてもらったら痛みは劇的に良くなったが、それを抜くが早いかまた具合が悪くなってしまった。これを見て主治医たちはウィップル手術を勧めてくれた。2001年10月、僕はウィップル手術を受け、2cmの腫瘍が見つかったのだった。


というわけで、僕が水面にたたき付けられたとき天使は確かにそこにいたのだ。どんな最新式の検査でも見つからない腫瘍が、あの腹打ち飛び込みがなければどうやって見つかっただろう? 僕がブランコから落ちなかったら、膵臓の破裂を縫い合わせる手術を受けなかったら、僕は自分の体の中で大きくなりつつあったあのがんから生還することはできなかっただろう。


僕の前にこの病気と闘った多くの人々、そして僕の後につづく多くの人々と同じように、僕はがん治療の儀式に耐えなければいけなかった ー 2週間の化学療法、続いて30回の放射線療法と持続点滴化学療法の組み合わせ、それからさらに4ヶ月の化学療法。この間僕は数えきれないほど入退院を繰り返した。でも僕は今でも生きている。生きてやることがいっぱいあるから‥‥家族や友人たちとのゴルフ、リトルリーグ野球のコーチ、ダンスの発表会への参加、子供たちの卒業と結婚‥‥いくらでも挙げられる。僕の話があなたの人生のプラスになればいいと思うのだが。


PanCAN編集部注:スティーブの家族は、新しい困難に直面しても信念を保とうと努力しています。ウェンディは、2003年11月に乳がんと診断されました。ウェンディは両側の乳房を切除し、化学療法と放射線療法を受けました。ウェンディはこの治療の間中、信じられないほどきちんとしていました。病気といえどもウェンディの活動を邪魔することはできませんでした。彼女は今年の2月、PanCANマラソン・チーム(募金を集めてすい臓がんのことを皆に知ってもらう活動です)に参加し、ハーフマラソンを完走しました。しかも自己ベスト記録を更新したのです! スティーブとウェンディの検査結果は今も良好です。二人は今も守護天使に二人で過ごせる時間を長くしてくれたこと、かけがえのない子供たちと大切な人々を二人のもとに遣わしてくれたことを感謝しています。

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