やぶいぬ応援団

膵臓癌闘病記や生還者のアドバイス、新薬の治験情報や研究など元気が出る話題を個人が集めたブログです。 <免責事項>本ブログは特定の治療法や薬の使用を推奨するものではなく、このブログの情報を利用した結果について筆者は責任を負うことはできませんのでご了承ください。

ジョナサン・マークス 「決してあきらめない」(前編)

yabuinu52006-09-18

  • 今回もまた驚くべき手記です。すい臓がん肝転移を発症した男性が、治験、ウィップル手術、ラジオ波治療とあらゆる手段を尽くして闘っています。
  • 「たとえ統計がどれほど厳しく見えようとも、希望は常にあるということです。私たちの中の誰かが、統計の壁を打ち破るのです。‥‥だから私たちはいつもチャレンジし続けなくてはいけないのです。」
  • 「若い頃、父から『人間、死ななきゃいけないのはたった一度だけだ』ということを学びました。ぞっとするような状況の中でも毎日死ななきゃいけないわけじゃない、何ヶ月に一度死ななきゃいけないというわけでさえないのです。」
  • 出典は PanCAN Newsletter 2002年7月号 です。


ジョナサン・マークス(55歳)ヴァージニア州チェサピーク

去年の5月始めから私は様々な症状に見舞われ、それは後にステージIVの膵臓がんとわかりました。2ヶ月後に肝臓の専門家が胆管の腫瘍が膵臓まで広がっているのを見つけましたが、その時は私は自分がどれほど深刻な状態にあるのか自覚していなかったのです。婚約者が私がトラブルに見舞われているのに気づくのまでそう長くはかかりませんでした。


私はこの病気の治療法と最高の医師を求めてインターネットを調べました。20日後には私たちはこの分野でトップの外科医の診察室で、自分がウィップル手術(あらゆる医療手技の中で間違いなく最も難しいものでしょう)を受けられるかどうか尋ねていました。外科医の感触では、私があと2年生きる確率は15パーセントぐらいとのことでした。それを聞いて背中に冷たい汗が流れ、ようやく私は自分の状況を理解したのです。外科医は、あなたの癌は肝臓に転移しておりそれが治療できないため手術の対象にはなりません、と言いました。私たちは家に帰りましたが、もちろんただ家に帰って死ぬつもりはありませんでした。私は他の手段を探しはじめました。ある臨床試験は私の肝臓の転移を治してくれる可能性がありました。しかし私はそれに参加する資格がなかったのです。なぜなら、膵臓原発巣が治療されていなかったからです。別の臨床試験膵臓の方を治してくれる可能性がありました、しかし私はこれにも参加できなかった、なぜなら私のがんは肝臓に転移していたからです。典型的な八方ふさがりの状況でした。友人がニューヨーク市にある腫瘍内科クリニックを見つけてくれました。そこの医者は私にまず化学療法を受けるように言い、私の住所の近くで私を助けてくれる有能で、進歩的で、とてもやる気のある腫瘍内科医を紹介してくれました。


その頃には8月も半ばになっていました。婚約者と私はヴァージニア州ノーフォークの腫瘍内科医のもとを受診しました。私はこの病気について調べるという宿題を済ませていたので、医師に質問することがたくさんありました。担当医はとても積極的で、そこが私にとって最も大事なところでした。私たちはまだ研究段階の化学療法を始めたのですが、これが驚いたことに効いたのです。3サイクル終わったところでCTを撮ると、がんの勢いが弱まっていることが分かりました。4つあった肝臓の転移は3つに減り、原発膵臓の腫瘍は約20%縮小していたのです。

後編につづく)

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