やぶいぬ応援団

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ジョナサン・マークス 「決してあきらめない」(後編)

  • 解説の言葉は不要だと思います。最後まで読めば、なぜ彼が写真でこんなに晴れ晴れとした顔をしているのかおわかりいただけるでしょう。


前編よりつづく)

私はこのCTを外科医に送りました。外科医はついにウィップル手術をしてくれることになりました。外科医にお願いすると、医師はその日の夜8時半に私のところに電話をかけてくれました。「電話をするのが遅くなってごめんなさい」と何度も謝る彼の姿を見て、私はこの外科医が今までの医者とはまったく違うことに気づきました。私たちは約40分話をしました。そして私は自分が良い医者に巡り会えたことを知ったのです。彼は週に7日働き、病院から5ブロックしか離れていないところに住み、患者を救うことに身を捧げている第3世代の外科医でした。ついに私はただの統計上の数字ではなくなったのです! 私はジョナサン・マークス55歳、1965年に扁桃腺を取った以外今まで健康な人生を送ってきた一人の男です。私は私を治療したいと願う外科医を見つけました。彼が私を治療したいと思ったのは、統計の壁を破りたいと彼自身が思っていたからです。成功率など気にしていませんでした、なぜならもともと彼の成功率は素晴らしいものだったからです!


そして2002年1月15日、外科医は私の腹にメスを入れ、たった一つ残った肝臓の転移をラジオ波(熱)で治療してくれました。病理報告書では私の原発巣は陰性(生きたがん細胞が見あたらなかったということ)で、元々の6cmから1.3cmに縮小していたということでした。断端の話はありませんでした。私の体は、NED(がんの痕跡無し)になったのです。あと数サイクル化学療法をしたら、3ヶ月ごとにCTを撮る監視モードに入る予定です。


担当医たちは失敗を恐れることなく働き、私の命を救ってくれました。私はこれからずっと彼らに感謝し続けることでしょう。私の話のただ一つのポイントは、たとえ統計がどれほど厳しく見えようとも、希望は常にあるということです。私たちの中の誰かが、統計の壁を打ち破るのです。誰が生き残るのかは分かりません。だから私たちはいつも生きるためにチャレンジし続けなくてはいけないのです。若い頃、父から「人間、死ななきゃいけないのはたった一度だけだ」ということを学びました。ぞっとするような状況の中でも毎日死ななきゃいけないわけじゃない、何ヶ月に一度死ななきゃいけないというわけでさえないのです。もちろん、このがんが再発することもありうるでしょう。確率的にはそうです。確率なんてくそくらえ、もしこのがんが再発したらそれに対処するだけのことです。それまでの間は、私に意味のあるただ一つの統計値は、私が100%生きているか100%死んでいるかということだけです。今、私は生きています。そして私はこれからも生き続けようと心に決めています。それどころか、私が当分の間はこの世に留まる情勢になってきたので、結婚話がもう一度現実のものになりそうな勢いです! どうですかこの展開は!

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