やぶいぬ応援団

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ゲイル・H、「再発を乗り越えて」

yabuinu52006-10-06

  • ゲイルさんは、2001年と2003年に手術を受けています。2003年の手術は再発によるものでした。最初の手術は発熱や貧血がひどくかなり辛かったのですが、このとき娘さんがゲイルさんを元気づけるためにとった方法とは? くわしくは本文をお読みください。
  • 出典は PanCAN Newsletter 2004年4月号です。


ゲイル・H、ミシシッピー州イプシランティ
私が最初に何かがおかしいと気づいたのは、夜中の3時半に腹痛と嘔吐で目が覚めたときのことでした。その痛みは胆石の痛みと同じような感じでした。でも私は20年前に胆のうごと手術で取ってしまっていたのです。私は痛みにとても強いので、病院に行くまで何日も過ぎてしまいました。病院ではすい炎と診断されて5日間の入院が必要でした。それから6週間、超音波検査や、超音波内視鏡や、針生検やCTなど色々な検査を受けました。すい臓に2cmの腫瘍があることが分かりました。生検では陰性、血液検査では良く分かりませんでした。


私のウィップル手術は2001年3月14日に決まりました。手術の前2日間、手術の準備をしているときも私は泣き通しでした。祖母をすい臓がんで亡くしていたので、私は恐怖で圧倒されていました。9時間かかったウィップル手術から目が覚めると、3単位の輸血が行われていました。リンパ節の生検は陰性でした。私は手術後3日目には起き上がって廊下を歩いていました。硬膜外麻酔は19日に抜けました。まだ胃管が残っています。手術の1週間後、胃管は抜けました。でも何も飲み込むことができなかったのでもう一度胃管を入れて今度は5日間でした。


家族と友人が支えてくれなかったら、この大変な時を切り抜けられなかったことでしょう。娘のダイアナと看護師をしている友人のキャリーは、医療関係者とのやりとりの大部分を引き受けてくれました。息子と、両親と、妹とその家族も私のためにその場にいてくれました。


手術の10日後、私は発熱してヘモグロビンが下がってしまいました。さらに輸血をしました。手術の14日後、胃管が抜けて完全にモルヒネが終わりになりました。まだ吐き気も嘔吐もかなりあったのですが、なんとか少し食べ物を飲み下すことができました。ある夜、娘がペットのウサギ「サム君」を面会に連れてきてくれました。娘は私をびっくりさせようと、布袋にサム君を入れてこっそり病室に持ち込んだのです! サム君は私の膝に納まり私は彼の頭をなでました。何てすばらしいアイデアなんでしょう!


手術から19日目、ついに私は回復のために家に帰ることができました。私は手術の前と同じぐらい泣くばかりで、家に帰ってからはほとんど何もできなくなってしまいました。今は体力を回復する時間、化学療法と放射線治療に備えてこの病気と闘う準備をする時間でした。


2003年7月、私は腹部への転移のためにもう一度手術を受け、再度別の化学療法と放射線療法を受けました。今は日常生活はほとんどふつう通りにできますが、トイレの場所を常に把握していなければいけないのと、それから外出を適切な時間に計画しておかなければなりません。一日に何度も少しだけの食事を摂ります。毎回消化酵素をのむ必要があります。


図書館の館長としてフルタイムで働く以外に、私は趣味の読書やかぎ針編みを楽しんでいます。フィラデルフィアに住む息子デビッドやインディアナに住む娘のダイアナを訪ねたりして家族や友人と過ごす時間も私の喜びです。両親と妹は80キロ以内のところに住んでいるので、なるべくしょっちゅうお互いのところを行き来するようにしています。先月、父の80歳のお祝いのために親戚全員が集まりました。本当に素敵でしたよ!

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