やぶいぬ応援団

膵臓癌闘病記や生還者のアドバイス、新薬の治験情報や研究など元気が出る話題を個人が集めたブログです。 <免責事項>本ブログは特定の治療法や薬の使用を推奨するものではなく、このブログの情報を利用した結果について筆者は責任を負うことはできませんのでご了承ください。

統計値に耳を傾けてはダメ!

humblebee


先月投稿された闘病記を翻訳します! L.L.さんはなんと14年前に(ジェムザールが出てくる前ですね)「手術不能膵臓がん」と診断され、3年間の化学放射線療法ののち生還されたそうです。娘さんの成長がL.L.さんの戦いの原動力となりました。


闘病記の出典は PanCAN Inspirational Stories です。(これまでの「生還者の声」シリーズはこちら

ここのサバイバルストーリーを読むことができて、本当に嬉しいです。膵臓がん患者の話は悲しい結末のものばかりだから・・。そういう話を読むと「生き残っているのは私だけ?」といつも思ってしまいます。「どうして私だけが?」14年前、診断された時もまったく同じ気持ちでした。


私は今、日々を健康に、神様に感謝しつつ生き生きと暮らしています。私が今までに聞いた言葉の中で一番嬉しかったのは「がんの痕跡なし」という言葉ですが、この状態が長く、長く続くことを願っています。私のたたかいは、私が40歳の時、そして一人娘が3歳の時に始まりました。私は娘が16歳になるのを見届けられるように祈りました。そしてついに、娘は今年16歳になります! 私の道のりは平坦なものではありませんでした。長く厳しい戦いでした。でも誰も予想もしなかったほどの勝利となったのです。


私は3年間、とても厳しい化学療法を受けました。私のがんは膵臓の頭の部分にできており、手術不能でした。外科医は、私の膵臓と胃をバイパスする手術しかできませんでした。そうして次に、私の主治医となってくれたすばらしい腫瘍内科の先生が多量の5-FUとシスプラチンを私の体に打ち込んだのです。6ヶ月間、月に一度入院して一週間の点滴を受けました。私の体はそれによく耐えてくれました。その次は6週間の放射線治療でした。そしてさらに抗がん剤治療。今度は家で持続注入を受けるため、腰のところにポータブル型のポンプをつけていました。これはきつかったです。でもすばらしい医師たちと家族の強いサポートのおかげで乗り切ることができました。放射線科の先生は私に「これで治癒を目指していますよ」と声をかけてくれました。その言葉だけでもどんなに心強かったことでしょう。ほんの少しの言葉が、どれほど人を元気づけ希望を持たせてくれることか。このことは大切なことなのでよく覚えてください。ある大切な医師は私にこう言いました。「人間はひとりひとり違うものです。統計値に耳を傾けてはダメ。」


その通り! ご用心ご用心。私は今年、55歳になります。そして毎日幸せに暮らしています。この体験は私を謙虚にしてくれました。私はムダなことに耳を傾ける気持ちも時間もありません。私は毎日を人生の最後の日と思って楽しく暮らしています。


L. L. ニュージャージー州アッパーサドルリバー、4/16/07

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